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如果我爷爷当年没有横渡长江,现在可能也没有我

和之梦放送 和之梦 2022-07-26
王国真琳(日本福冈)
2020年上海財経大学卒業/現在は南京周辺で過ごしている。父親が中国人。日本生まれの日本育ちだが小さい頃から中国にもきていた為それなりに中国の文化も知っている。美味しいものを食べることやお酒、旅行、ゲーム、お笑いバラエティなどが好き。最も好きなのはアニメ《ONEPIECE》。
2020年上海财经大学毕业/现在在南京周边城市生活。父亲是中国人。虽然是在日本出生的,但从小就来到了中国,所以对中国的文化也很了解。喜欢美食、喝酒、旅行、游戏、搞笑综艺等。最喜欢的是动画《ONEPIECE》。
PS.原本19年毕业,因为疫情20年才毕业。 
 这是《外国人眼中的中国》第125


今回のテーマは長江」なので我が家に語り継がれている長江が出てくるお話をします。事実かどうかは分かりませんが…

这次的主题是“长江”,所以我准备说一说我自己家里关于长江的故事。虽说事实到底怎么样,我也不太知道…

▲点击图片有惊喜


私は中国人家庭です。私の父が中国人です。私の父は安徽省の馬鞍山出身です。父方のおじいちゃんの出身は和县だそうです。なので小さい時はよく父に連れられて馬鞍山から車で乗れる貨物船のようなものに乗って長江を渡りおじいちゃんの故郷がある和县へ連れて行かれていました。

その為小さい頃の私は長江が凄いなんてことは全く知りませんでした。大きな河だなぁ。流れが強いなぁ。なんで中国の河はこんな色なんだろう?”ぐらいにしか思っていませんでした。

我出生在中国家庭。父亲是中国人,具体点是安徽省马鞍山人。爷爷似乎是和县(隶属马鞍山)人。所以小时候,父亲经常带我坐那种可以载车的货物船,从马鞍山出发横渡长江,前往爷爷的故乡和县。

也因为如此,小时候的我完全不知道长江是多么厉害的存在。“好大一条河…好湍急的一条河…为什么中国的河是这样的颜色呢?”除了这些以外,没有其他更多的想法了。


小学生ぐらいになると中国の二大河?黄河と長江について知りました。地理的に長江が父の故郷に近いと知り、父に長江見てみたいと言ったときに父から「毎回中国行った時に見てるし、渡っているよ。」と言われて初めて中国のおじいちゃんの故郷に行くときに通るあの大きな河が長江だと知りすごく驚いたのを覚えています。

そしてよく父や父方の親戚から聞かされた話ですが、私はいまだに本当のことなのか疑問に思っている話があるので、ここで話してみようと思います

上小学以后,我才了解到中国的两大河——黄河和长江。听说地理上长江就在父亲的故乡附近,我就跟父亲说我想去看看。结果父亲说:“我们每次去中国不都有看吗?还横渡过去了。”我这才惊觉,原来我们每次在中国去爷爷故乡时,通过的那条巨大的河,就是长江。

然后还有一些从父亲、或者父亲那边的亲戚听来的故事。我其实对于这些故事的真实性,抱持着一些怀疑的态度,也准备在这里说一说。

▲照片由本人提供

私のおじいちゃんがまだ少年だった頃の話だそうです。その時の和县は凄く田舎で、おじいちゃんは和县で一生を終えるのがとてもいやだったそうです。長江を挟んだ向こうには和县よりも都会な馬鞍山があり、おじいちゃんは馬鞍山に行きたくて仕方がなかったそうです。

那似乎是我爷爷还是少年时候的事。那时的和县是非常典型的农村,爷爷不想就这样在这个农村度过自己的一生。长江的对岸,是比和县发达不少的马鞍山,爷爷非常向往那里。


因みにその当時の馬鞍山には親戚がいたそうです。でもおじいちゃんは一家の長男で(正確には次男ですが、戦争で長男を亡くした?らしいです。)家族に反対されていた?

(という人もいれば船に乗るお金がなかったという人もいて、そこはよく聞かなかったので分かりません。)

それでおじいちゃんは長江を泳いで渡る事にしたそうです。必死のおもいで長江を渡りきったおじいちゃんは親戚宅にどうにか辿り着き無事保護されたそうです。その後はその親戚に助けてもらいながら馬鞍山で暮らしたみたいです。

顺带一提,正好在当时的马鞍山那里,也有能找到的亲戚。但是爷爷是一家的长男(准确的说其实是次男,但是原本的长男因为战争过世了),所以家里都反对他去马鞍山。

(这是一种说法,也有的人说其实是没有坐船的钱,所以才没去。这方面详细的我也不是那么清楚了。)

结果就是我爷爷自己游泳渡过了长江。抱着必死的决心横渡了长江,终于平安到达了那个安徽亲戚的家。那之后靠着那位安徽亲戚的帮助,爷爷就这样在马鞍山生活了下来。


これが我が家に語り継がれている?ことなんですが、私は初めて父からこの話を聞いたとき、父が誇張しているだけだと思っていました。なぜなら、私も父も私の姉も泳げないからです。だってあんなに流れがあり、結構な距離がある長江を泳いで渡るなんてどう考えても無理があるでしょう?

そんな凄いおじいちゃんならせめて父は少しでも泳げてもいいのではないかと思っていたからです。ところがその後親戚達に「お前のおじいちゃんは凄いんだぞ。和县から馬鞍山まで長江を泳いで渡ったんだぞ。」というように似たような話を何回かきき、本当の事だったの?とおもいなおしました。

虽说是我家里一直流传的故事,第一次听到父亲说的时候,还是觉得这也太夸张了吧。要说为什么难以相信的话,因为我们家我父亲、我、还有我姐姐,我们一个都不会游泳。所以我真的觉得,长江那么急的流速啊,距离也那么长,再怎么说也不可能游得过去吧。

如果真的有这样一个游泳健将爷爷的话,怎么说父亲也应该会游一点吧。尽管如此,后来再听到亲戚们说“你爷爷真厉害啊。从和县游泳横渡长江到的马鞍山啊!”之类的话,一遍又一遍地听到,我还是改变了想法——“也许是真的呢?”

▲真的有可能游泳横渡这条河吗?

いまだにこの話は本当のことなのか判断できずにいます。そんなおじいちゃんですが歳を取りボケても町を徘徊したり、雨降る中、馬鞍山から当涂まで徒歩で行くほどの行動力があり度々家族を最後まで騒がせていました。(我が家は色々と複雑な家庭です。)

これが私の長江に関するエピソードです。大人になると父について和县に行くことも減り長江をみる機会も減りました。和县にいる親戚もどんどん高齢化してきたので、コロナが落ち着いて、父が中国に帰ってきたら、また父と一緒に長江を渡り親戚達に会いに行けたらいいなと思っています。

事到如今,这些故事的真假也很难判断了。那样不得了的爷爷,即使在年迈时节,他也常常在城市中徘徊,在雨中行走,拥有着从马鞍山徒步走到当涂(隶属马鞍山)的行动力。最后也不让家里省心。(我家是个有点复杂的家庭)

这是我的“长江故事”。成为大人以后,跟父亲一起前往和县的机会减少了,看长江的机会也随之减少。和县的亲戚们也都逐渐步入老年。等新冠疫情平静下来,父亲再回中国来的话,真想再和父亲一起横渡长江,去和江那头的亲戚们会面。

▲和县的老人们

私の父は歴史が好きで、私は父が酔っ払って話す家族の話や歴史の話を聞くのが結構好きです。その中には色々と長江にまつわる話もあり子供の頃は楽しんでいました。(事実かは置いといて(笑))

3年以上父と酒を酌み交わしていないので、早く父とゆっくり酒を飲みながらいろんな話をしたいなと思っています。

我父亲喜欢历史,每次他喝醉时,讲的那些关于家里的故事和历史故事,我都很喜欢听。那里面也有很多关于长江的故事,小时候听得很快乐。(事实如何先放在一边吧(笑))

三年以上没有跟父亲举杯畅谈了,真想早点和父亲一起喝喝酒、说说话,聊聊各种各样的事情。

更多长江故事,点击以下视频观看
10年长江之约,寻找6300公里源头的第一滴水

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文字 | 王国真琳
翻译&编辑| IZUMI
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